イザヤ書1章10-31節ーー濁り

濁っている。

この箇所を読むと、その言葉は私の心に響きます。

イスラエル人が捧げものといけにえを捧げたけど、神様の目にはそれは本来そうであるべきいけにえからは程遠いものでした。なぜなら、イスラエル人にとっては、その捧げものといけにえは宗教的な儀式、また迷信的な儀式だけになっていたからです。だから神様は言った。

「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう」と、主は仰せられる。「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙――それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日――会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。」(11-15)

濁っている。

イスラエル人の罪によって、また、彼らが神様に背を向けることによって、彼らは濁った者になった。つまり、以前彼らは神様の花嫁でした。でも、彼らは自分自身を偽物の神々に捧げて、霊的な売春婦になった。

濁っている。

神様は彼らについてこう言いました。

おまえの銀は、かなかすになった。おまえの良い酒も、水で割ってある。(22)

以前彼らは神様の目に清い銀のようなものでした。でも、今彼らは罪によって価値のない鉄くず(かなかす)になった。彼らの義は悪で割ってあった。彼らの神様に対する礼拝は偶像礼拝で「割って」あった。

神様はもっと言いました。

あなたがたは葉のしぼんだ樫の木のように、水のない園のようになるからだ。つわものは麻くずに、そのわざは火花になり、その二つとも燃え立って、これを消す者がいない。(30-31)

以前プライドがある国、また強くて栄えた国は衰えていった。古くなった。死にかけている国になった。彼らの実績は無駄なことになった。

私たちが神様に背を向けて自分の道を行って罪を犯すと、イスラエル人のように、私たちは濁った者になります。神様は私たちのかなかすを溶かして、私たちの浮きかすをみな除きたいです。

でも、私たちは神様と協力するでしょうか。もしくは、私たちは神様と戦うでしょうか。

神様と戦うと、その清めるプロセスは本当に痛くなります。でも協力すると、そのプロセスはまだ辛いかもしれないけど、痛みはましになります。

神様はイスラエル人のかなかすと浮きかすを除くために彼らを砕かなくてはならなかった。あなたはどうするでしょうか。

私たちは濁った者にならないように。むしろ、神様が計画したように生きましょう。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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