列王記第二6-7章ーー忍耐がなくなり、信仰もなくなっている

イスラエル人はアラム人に憐れみを与えたから、しばらく平和がありました。でも、結局、アラムの王もう一度全軍を召集して、サマリヤを包囲した。その結果は、イスラエル人は食べ物がなかったので、生き残るために酷いことをしてしまった。ある女性はイスラエルの王ヨラムの前に行って言いました。

28 この女が私に[あなたの子どもをよこしなさい。私たちはきょう、それを食べて、あすは私の子どもを食べましょう]と言ったのです。

29 それで、私たちは、私の子どもを煮て、食べました。その翌日、私は彼女に「さあ、あなたの子どもをよこしなさい。私たちはそれを食べましょう」と言ったのですが、彼女は自分の子どもを隠してしまったのです。

ヨラムはどう反応したでしょうか。彼は神様と預言者エリシャを責めました。

きょう、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。(31)

そして、エリシャを殺すために、ヨラムはエリシャを探していた。見つけると、ヨラムは言った。

見よ。これは、主からのわざわいだ。これ以上、何を私は主に期待しなければならないのか。(33)

つまり、「私は忍耐がもうないし、信仰もなくなっている。この悪い状態の中で、なぜ私は神様に信頼し続けなくてはならないだろうか。」

でも、その前に、ヨラムは何をしていたでしょうか。エリシャのアドバイスを求めていたでしょうか。主の御言葉を求めていたでしょうか。多分しなかった。

むしろ、自分の知恵と力によって、その問題を解決しようとした。そして、解決できないと分かっても、まだ神様を求めていなかった。むしろ、ヨラムは自分自身の悪い決断のために、神様を責めました。(列王記第二3章で、ヨラムは同じようなことをしていた。)

とにかく、エリシャはヨラムに神様からの救いを予言した。ヨラムはエリシャを信じたらしかったけど、ヨラムの侍従はもう信仰がなくなって、その疑いを表現した。

だから、エリシャは言った。「あなたは神様からの救いを見るが、それを楽しまない。」(2)

神様はイスラエル人を救いだした。包囲が終わって、イスラエル人は食べ物を集めるために門から暴れて出ました。その侍従は門の管理をしていましたが、イスラエル人が彼を踏みつけたので、彼は死んでしまった。

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。大変な時に、私たちは信仰がどれぐらいあるでしょうか。諦めるでしょうか。解決を探すことを諦めるだけじゃなくて、私たちの信仰も諦めるでしょうか。もしくは、神様に信頼し続けるでしょうか。

全てがうまくいく時に、神様に信頼するのは簡単です。でも、うまくいかなくても、あなたは信頼し続けるでしょうか。

主よ。時々、私の状況が無理だと思うから、どうやって解決するかよく分からない。でも、私があなたに信頼し続けるように助けてください。私が自分の知恵と力に頼らずに、あなたを求めるように助けてください。私を導いて下さい。私の歩みを確かにしてください。そして、私があなたからの救いを見て喜ぶように助けてください。アーメン。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: 列王記第二, 旧約聖書, 歴史書 パーマリンク

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