士師記11章29-40 – エフタのいけにえを解釈すると

聖書の中で、これは、とても解釈しにくい箇所です。エフタは本当に全焼のいけにえとして神様に娘を捧げたでしょうか。そうだったら、神様はその行動を認めたでしょうか。

その二つ目の疑問には以前のブログに答えがあります。もし、エフタが本当に全焼のいけにえとして、娘を捧げたら、神様はそのいけにえを絶対に受け入れなかったでしょう。どうして、私はそう思うでしょうか。モーセを通して、神様は律法を伝えたからです。つまり、

あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。。。これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。(申命記18:10,12)

だから、もし、多くの聖書の学者が考えているように、エフタが娘を全焼のいけにえとして捧げたら、神様はそれを認めていなかったのです。

でも、この箇所は他の説明があるでしょうか。多くの聖書の学者はそう思います。

新改訳によると、エフタはこう言いました。

私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。

でも、ある英語の聖書によると、エフタはこう言いました。

私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。もしくは、私はそのものを全焼のいけにえとしてささげます。

つまり、もし、エフタが動物を見たら、それを全焼のいけにえとして捧げます。でも、人を見たら、その人をしもべとして神様に捧げるということです。

レビ記27章に、そのような例を読みます。その箇所で、もし、ある人が特別な誓願を立てて、つまり、しもべとして、誰かを神様に捧げたら、どうやって、その人を買い戻すかの教えがあります。

でも、28節に、こう書いてあります。

しかし、人であっても、家畜であっても、自分の所有の畑であっても、人が自分の持っているすべてのもののうち主のために絶滅すべき聖絶のものは何でも、それを売ることはできない。すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。

「絶滅すべき聖絶のもの」というのは、「神様に捧げたし、それを自分のために取り戻すことが出来ない」という意味です。サムエルの母はそのような誓願を立てていました。(第一サムエル1:11)

もし、エフタがそのような誓願をしたら、聖書の教えに合います。それに、私たちはエフタの娘の反応が理解できます。彼女は自分の死について泣きませんでした。彼女は子供が出来ないことを悲しみました。また、彼女はお父さんから逃げずに、お父さんに従いました。

その説明があるけど、多くの学者はそう信じていません。

あなたがどの解説を受け入れても、私たちは聖書を読むときに、神様が何を教えているか考えるべきです。

もし、エフタの行動は罪だと思うなら、私は何を学べるでしょうか。それは、もし、私たちが聖書をよく知らないと、私たちが神様を喜ばせると思っても、神様は喜ばない。あなたは本当に神様を喜ばせているでしょうか。もしくは、神様の言葉を知らないから、あなたが知らずに、神様が憎む事をしているでしょうか。

もし、エフタは誓いを立てたけど、後で後悔した事だと思うなら、私は何を学ぶでしょうか。 それは、神様に対しての誓いを立てる事を気をつけなくてはならない。もし、その誓いを立てたら、守らなくてはならない。実は、イエス様が言ったのは、誓わないほうがいいということです。むしろ、

あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。(マタイ5:37)

つまり、あなたは何かをすると言ったら、そうするべきです。神様は私たちがそのような人である事を望むから。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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