士師記10-11章 ーー 気まぐれな人々

イスラエル人は本当に気まぐれな人々でした。神様に対して気まぐれだったし、エフタという人に対しても、気まぐれだった。実際、イスラエル人の神様との関係とイスラエル人のエフタとの関係は本当に似ている。

エフタが不品行によって生まれた人だったから、彼の兄弟と、その都市の長老たちは彼を追い出して、「あなたはほかの女の子供だから、私たちの父の家を受け継いではいけない」と言っていた。

でも、大変な時に、イスラエル人はアモン人と戦うために、エフタに「私たちの首領になってください」と頼んだ。(6-8)

神様に対しても、それはイスラエル人の態度でした。全部うまく行ったときに、彼らは、神様に背を向けて、偶像を礼拝した。でも、困ったときに、彼らは偶像を捨てて、もう一度神様に仕え始めて、「助けてください」と叫びました。

私は彼らに対しての神様の哀れみを信じられない。神様は彼らの心をよく知っていた。そして、神様は言った。

行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らを救うがよい。(10:14)

でも、彼らが神様に叫び続けたから、結局、

主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。(10:16)

そして、救い主を送りました。

私たちはどうですか。イスラエル人のように、私たちは神様に対して気まぐれでしょうか。全部うまく行くときに、神様を無視して、自分自身に仕えるでしょうか。そして、ただ困ったときに、神様に戻って、「助けて!」と叫ぶでしょうか。

もしくは、いつも神様に対して忠実でしょうか。

私はダビデの祈り大好きです。彼は祈った。

私の心を一つにしてください。(詩篇86:11)

有名なクリスチャンアウグスティヌスという人はこう言いました。

私の魂が安心な場所はあなたしかないです。そして、私の中で、ばらばらのものをまとめてください。 なぜならば、私の中に、あなたから離れる部分がないように望むから。

時々、あなたが私の中で働くときに、つまり、私のばらばらな魂をあなたに近づけるときに、私に言葉で言えない感じを与えてくれる。それは本当に素晴らしい喜びです。そのような喜びは今まで、経験したことがない。 それが一時的なことではなくて、永遠までの感じになったら、私はそれがこの世界のものではなく、また、この世界からの経験ではないことが分かります。(告白10)

神様に対して、私たちが気まぐれな心を持っていないように。むしろ、私たちはいつも、一致の心、また、忠実な心があって、神様に仕えるように。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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