ヨブ記9章 – 仲介者を必要とすること

この箇所で、ヨブのフラストレーションは神様に対して、あふれ出した。ヨブは神様の主権を認めたけど、神様が本当に遠い存在に感じていたし、ヨブが捨てられた感じがあった。

だから、ヨブ言った。

11 たとい神が私のそばを通り過ぎても、私には見えない。神が進んで行っても、私は認めることができない。

12 ああ、神が奪い取ろうとするとき、だれがそれを引き止めることができようか。だれが神に向かって、「何をされるのか」と言いえよう。

それに、神様がヨブを苛めていたと思った。

16 たとい、私が呼び、私に答えてくださったとしても、神が私の声に耳を傾けられたとは、信じられない。

17 神はあらしをもって私を打ち砕き、理由もないのに、私の傷を増し加え、

18 私に息もつかせず、私を苦しみで満たしておられる。

19 もし、力について言えば、見よ、神は力強い。もし、さばきについて言えば、だれが私を呼び出すことができるか。

また、神様がヨブの惨めさを喜んでいるみたいでした。

にわか水が突然出て人を殺すと、神は罪のない者の受ける試練をあざける。(23)

ヨブにとって、一番悪いのは、神様が不公平のように思えたことでした。

みな同じことだ。だから私は言う。神は、潔白な者をも悪者をも共に絶ち滅ぼされる。。。地は悪者の手にゆだねられ、神はそのさばきつかさらの顔をおおう。もし、神がそうするのでなければ、そうするのはだれか。(22,24)

ヨブを批判するのは簡単ですけど、多分、ほとんどの人々は、ヨブのように苦しんでいたら、同じように感じると思う。一番強いクリスチャンでも、そう感じるかもしれない。

でも、この箇所で、私たちが覚えなくてはならないことがあります。一つ目は、神様の前に立って、「私は全然悪いことをしたことない」と言う人はいない。ヨブは言った。

2 まことに、そのとおりであることを私は知っている。しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか。

3 たとい神と言い争おうと思っても、千に一つも答えられない。

4 神は心に知恵のある方、力の強い方。神に身をこわくして、だれがそのままで済むだろうか。

たくさんの人々は裁きの日に、神様の前に立って、自分の人生の申し開きができると思います。でも、その日に、神様は私たちの悪い思いと私たちの悪い行動を全部現す。

それだけではなくて、私たちがいいことをする機会があったのに、私たちが何もしなかったときも現す。その時、私たちが分かるのは、神様の聖なる人格と比べると、私たちが本当に罪深いし、自分自身を申し開きができないということです。私たちの言い訳と申し開きの空しさがはっきりと見える。

その日、たくさんの人々は、ヨブのように言います。

14 いったい、この私が神に答えられようか。私が神とことばを交わせようか。

15 たとい、私が正しくても、神に答えることはできない。私をさばく方にあわれみを請うだけだ。

ヨブは、無罪の人として、神様の前に立てないことを知っていたから、叫んだ。

33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。

34 神がその杖を私から取り去られるように。その恐ろしさで私をおびえさせないように。

35 そうすれば、私は語りかけ、神を恐れまい。いま私はそうではないからだ。

ヨブには、そのような仲介者がいなかったけど、私たちにはいます。パウロは書いた。

5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。(第一テモテ2:5-6)

また、

34 死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてくださるのです。(ローマ8:34)

神様の前で、誰も、無罪の人として、立てない。私たちは皆、裁きに値する。でも、イエス様は私たちの仲介者です。

イエス様は、天の父に言います。「私はその人の罪のために支払いました。」

だから、天の父は私たちに言います。「あなたはもう罪に定められていない。あなたは赦された。」

それだけじゃなくて、イエス様は私たちのように苦しんだ経験がある。でも、私たちと異なって、罪がないのに、イエス様は苦しんでいた。

だから、イエス様は私たちの苦しみが分かります。私たちの痛みが理解できる。私たちの混乱が分かります。私たちの捨てられた感じが理解できる。

なぜならば、人間として、イエス様は私たちのすべての感情を経験したから。

ヘブル人への手紙の著者はこう書いた。

18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(2:18)

また、

15 私たちの大祭司は「つまり、イエス様」、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(4:15-16)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: ヨブ記, 諸書, 旧約聖書 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中