申命記31章 – インマヌエル

私たちは皆、影響を受けた人がいます。お父さんかお母さんかもしれない。先生か友達かもしれない。もしくは牧師かもしれない。

でも、結局、彼らはいなくなる。彼らは引っ越すかもしれないし、亡くなるかもしれない。だから、私たちが自分に訊かなくてはならないのは、彼らがいなくなったら、私がどうするだろうかということです。

ヨシュアとイスラエル人はその状態に直面した。モーセは40年間彼らを砂漠で導いたけど、今モーセは彼らに言った。

私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と言われた。(2)

ヨシュアとイスラエル人はそれを聞いて何を考えたでしょうか。多分、本当にさびしい感じがあったし、心配しました。

「モーセは私たちと一緒に来ないの?でも、私たちはどうしましょうか。モーセが私たちを導かないと私たちは続けられらない。」と思ったかもしれない。

でも、モーセはイスラエル人に言った。

あなたの神、ご自身が、あなたの先に渡って行かれ。。。強くあれ、雄雄しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。。。ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。(3,6,8)

時々、私たちはつらい状況に直面する。上りにくい山に直面する。私たちを跪かせる試練に直面する。でも、モーセはイスラエル人と私たちに言います。私たちは一人ぼっちじゃないです。神様は私たちと共にいる。神様は私たちの先に進まれる。そして、神様は私たちを見放さず、見捨てない。だから、強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。

イサヤはイエス・キリストの誕生を予言したときに、イサヤは言った。

処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ書7:14)

インマヌエルというのは、「神は私たちとともにおられる」と言う意味です。神様は私たちにそのことを覚えていて欲しいです。私たちは一人ぼっちじゃないです。決して一人ぼっちじゃないです。人々は私たちを見放すかもしれない。人々は私たちをがっかりさせるかもしれない。でも、神様はいつも私たちと共にいるし、決して私たちを見捨てないです。

時は来て また 過ぎ去る

私たちは 忘れる時もあるかも知れない。

でも ベツレヘムで生まれた子は 今でも私たちと共にいる。

インマヌエル。神様は私たちと共に折られる。

–エイミー・グラント

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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