民数記5章5ー31ーー 罪についてのもう3つのポイント

レビ記4ー6章で罪に関して5つのポイントについて話しました。

この箇所で、罪について、もう3つのポイントを学べると思います。

一つ目は、人に対して罪を犯す時に、私たちは神様に対しても罪を犯す。5ー6節で、神様は「人に対して罪を犯したら、私に対して不信の罪を犯したよ。」と言いました。夫が妻に対して罪を犯したら、神様に対して不信の罪を犯した。両親が娘か息子に対して罪を犯したら、神様に対して不信の罪を犯した。あなたの隣人か友達か同僚か知らない人に対して罪を犯したら、神様に対して不信の罪を犯した。

ダビデはそのことを知っていた。バテ・シェバと姦淫を犯して、そして、その主人を殺した時に、ナタンがダビデのもとに来て責めました。ダビデ悔い改めの詩篇でこう書いた。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。(詩篇51:4)

2つ目は、罪を犯したら、必ず罰を受ける。罪を上手に隠しても、いつか明らかにされる。この世に明らかにされなくても天国で明らかにされる。親しい友達か家族から隠しても、神様から隠すことができない。

この箇所の最後の部分でそのことを学ぶ。もし、夫は妻が姦淫を犯したと思うけど、証拠がないと祭司のところに妻を連れて行った。そして、その妻は苦い飲み物を飲んだ。その後で、赤ちゃんができないか流産したら、妻は有罪とみなされた。でも、何も起こらないと妻は無罪とみなされた。飲み物は魔法じゃなかった。でも、 イスラエル人のために神様はこの判断方法を与えた。そして、神様は心を知って、有罪の人を罰したけど、無罪の人を守った。

3つ目は、誰かが 私達に対して罪を犯しても、復讐の余裕が無い。どうして、神様はその判断の方法を与えたでしょうか。なぜならば、夫が罪を犯さないために与えたからです。つまり、夫は妬んで、妻を虐待し、殺すかもしれない。もしくは、妻を離婚をするかもしれない。神様はこの判断の方法についてこう言った。

夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。(31)

つまり、妻が夫に対して罪を犯しても、彼は復讐したらダメでした。むしろ、神様に妻を委ねなくてはならなかった。そのように、私たちは決して復讐をしないべきではないです。神様にその人を委ねなくてはならない。

ローマ12:19で書いたように、

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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