出エジプト記35-36章 – 捧げたい心、仕えたい心

それでは、もうすぐ、出エジプト記が終わります。残りは大体幕屋の作り方の命令の繰り返しです。

でも、この箇所で、私が印象に残っているのは、イスラエル人の心ということです。神様は言った。「感動した者と、心から進んでする者だけが捧げなさい。感動した者と、心から進んでする者だけが仕えなさい。」神様はイスラエル人がいやいやながら捧げる事を望んでいなかった。イスラエル人が強いられて、仕える事を望んでいなかった。イスラエル人が心から与えて、仕える事を望んでいました。

そして、皆はそうしました。結局、皆は有り余るほど捧げたのでモーセが「もういいです。もう十分ありますから、もう捧げないで下さい。」と言っていました。

教会はそのような場所のはずです。教会の皆は捧げて仕えるべきです。それは、しなければならない考え方からではなくて、むしろ、神様が心に与えた喜びからするはずです。パウロはこう書いた。

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。(第二コリント9:7)

この箇所は与えることについて話すけど、神様に仕えることは同じです。神様は私達がいやいやながら仕える事を望んでいない。私達がやりたいから、仕えて欲しいです。もし、しなければならない気持ちで仕えたら、または、しなければならない気持ちで与えたら、与える喜びと仕える喜びが分からないし、神様があなたの供え物を受け入れない。

あなたはどんな心から与えるでしょうか。どんな心から仕えるでしょうか。あなたは、皆があなたを見て、「ああ、素晴らしいクリスチャンだね」と言って欲しいでしょうか。あなたはいいクリスチャンのためにしなければならないと思って仕えるでしょうか。その理由によって、与えるでしょうか。もしくは、神様があなたに素晴らしい人生を与えて下さって、感謝だから仕えて、与えるでしょうか。

神様、私が与える時に、また私が仕える時に、多くの場合は私の動機は間違います。時々人々の賞賛を求めるから仕える。時々、しなければならないと思うから献金を捧げる。でも、そのような心があなたを喜ばせない。あなたが私のためにしてくださった事を思い出させてください。感謝で満ちた心を与えてください。喜びで満ちた心を与えてください。そのような心で私はあなたに捧げたい。そのような心からあなたに仕えたいです。アーメン。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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