出エジプト記30章 ーー 神様の御前に来ること

これは幕屋について、最後の箇所です。私はこれを読んで、私達の神様との関係について考えます。

例えば、聖所にある壇の上に香を絶えずに炊いた。聖書の中で、その香の煙は、人々の祈りが神様に上がるシンボルでした(黙示録5:8;8:3ー4)。その絵を通して、私達は神様がいつも私達の祈りを聞いてくれることを思い出す。小さい祈りでも、神様は聞いてくれる。

でも、祈る前に、私たちは他のことを思い出さなくてはならない。一つは、私達の罪を贖われなければならない。つまり、私達の罪を覆うために、神様はイエ ス・キリストを通して、代価を払いました。

イスラエル人は調査の税金を払いました。その税金は贖い金といいました。各人は、貧しくても、金持ちでも、半シェケルを払わなくてはならなかった。なぜならば、みなは神様の目に等しいし、みなは神様の贖いが必要でしたから。

2つ目は祭司たちは神様のみ前に来る前に、自分の手と足を洗わなくてはならなかった。そのように、私たちは神様の前に来たら、毎日私達の罪を洗われなくてはならない。私達の罪は祈りを妨げてしまうからです。詩篇66:18でこう書いてあります。

もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。

だから、神様のみ前に来たら、罪を告白しなくてはならない。第一ヨハネ1:9でこう書いてあります。

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

最後に、祭司たちは油を注がれなくてはならなかった。聖書では、油は聖霊のシンボルです。私たちはクリスチャンになる時に、聖霊が私達の中に住むように来る (ヨハネ16:7)。それに、聖霊は私達を導くし(ヨハネ16:13)、私達のためにとりなしてくれるし(ローマ8:27)、神様の計画を成就するように力を与えてくれます (使徒の働いき1:8)。

神様、私があなたの前に来るときに、あなたが私の各祈りを聞いてくださって感謝します。ダビデが祈ったように、私も祈ります。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」私はあなたの前に来ながら、あなたが私のために身代金を払って下さったことを思い出して、感謝します。私の罪を表してください。そして、赦してください。あなたの御霊で、私を満たしてください。聖霊が私を導きながら、私があなたの声が聞こえるように。あなたの御心に従うために聖霊の力を私に満たしてください。そして、聖霊が私のためにとりなしたら、天の父がその声を聞いてくださいますように。アーメン。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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