出エジプト記12章 — 新しい スタート

この箇所はシンボリズムが多いです。特に神様が新しいカレンダーについて話した時です。イスラエル人にとっては、エジプトから救い出された日が新しいカレンダーの初めでした。たぶん、神様が伝えたかったのは「これからは新しい人生が始まっている。だから、いつも、この日を思い出してください。」ということです。

その1月の14日に、イスラエル人は子羊の犠牲を捧げた。その後で、その羊肉と種を入れないパンと苦菜を食べた。羊は完璧じゃなくてはならなかったし、骨が折れたら、だめでした。イスラエル人は早く去ることが出来なければならなかったから、種を入れないパンを作った。それに、食べながら、彼らは腰の帯を引き締め、足に靴を履き、手に杖を持ちました。

そして、彼らは羊の​血を取り、二本の門柱と、鴨居につけた。なぜならば、滅ぼす者はイスラエル人の家を過ぎ越して、その家の初子を打たないからです。

私は言ったように、本当にたくさんのシンボリズムがあります。イスラエル人にとっても、私達にとってもシンボリズムがある。苦菜はエジプトの苦い苦しみのシンボルでした。そのように、私達も、ずっと神様から離れて、苦い苦しみを経験した。他の人の罪によって、私たちは苦しんだし、自分自身の罪によって、苦しんだ。だから、私たちは神様に必死に叫んだ。

聖書では、パン種が罪のシンボルです。神様は「パン種を捨てなさい」と命令した。そのように、彼らは人生から罪を出さなくてはならなかった。つまり、エジプトの偶像礼拝の習慣を止めなくてはならなかった。種のあるパンはエジプトから速い脱出を妨げるように、罪は神様に従うことを妨げる。だから、イスラエル人は直ちにパン種と罪を捨てなくてはならなかった。次の日じゃなかった。次の週じゃなかった。直ちに。

そのように、私達も、罪から離れなくてはならない。つまり、悔い改めなくてはならない。

もう一つのシンボルは子羊でした。それはキリストのシンボルです。子羊は完璧でした。死んだ時に、骨は折らなかった。そして、その死によって、人々を滅ぼす者から救われた。そのように、キリストは死んだ時に、骨を折られなかった。そして、イエス様の死によって、私たちは永遠の​死から救われた。

たまたま、神様は血を二本の門柱と、鴨居につけろと命令したでしょうか。それとも、十字架に付いた血のシンボルだったでしょうか。

これら全部は私達に新しいスタートを与えるためでした。だから、急ぎましょう。私たちを滅ぼす罪深い人生を捨てて、イエス様に走りましょう。なぜなら、イエス様の死は私たちを救ったからです。

一切の重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐を持って走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の目に置かれた喜びのゆえに辱しめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなた方は、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方の事を考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。ヘブル12:1-3

 

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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