創世記11章–神様から離れている生活

はい、分かりました。10章を飛びました。ミスじゃなかった。10章を読んで、別に何も印象に残らなかったんです。時々そういう箇所がある。将来にも、時々ある箇所を飛ぶかもしれない。許してくださいね。

とにかく、バベルの話で、神様は、いじめっ子として描写されたらしいです。なぜならば、神様は弱い人をいじめて、散らしたらしいです。どうして、私はそう感 じていますか。神様の動機が、はっきりに分からないからです。なぜ、統一を確立するのは、ダメでしたか。なぜ素晴らしいことをしたら、ダメでしたか。なんで名を 上げるのは、ダメでしたか。聖書は黙っています。理由を想像するしかできない。

バベルの人は、神様中心の文化じゃなくて、人間中心の文化を確立したかったかもしれない。「さあ、我々は町を建て、頂きが天に届く塔を立て、[自分自身の]名をあげよう。」と言いました。創世記4:11

洪水の前に、そのような考え方が増えて、文化は堕落するようになりました。だから、神様はすべてを滅ぼした。でも, もう一回、そのような考え方が出てしまいました。たぶん、そういうわけで、神様に、その働きをやめさせられました。

9説は面白いです。というのは、「その街の名前はバベルと呼ばれた。主が地の言葉をそこで混乱させたから」と書いてあります。「バベル」というのは「混 乱」という意味です。私はその言葉を読んだら、「もし、ある文化、また、ある人が神様を除いて、生活したいなら、結局混乱さられます」と思いました。

多くの人は、神様の人間関係の教えを拒絶して、「どうして、私の人間関係が、めちゃくちゃになったか」と思って、混乱します。多くの人は神様の結婚の教え を拒絶して、「どうして、私の結婚はうまくいかないか」と思って、混乱します。多くの人は神様の子育ての教えを拒絶して、「どうして私の子供はそんなに乱 暴になりましたか」とおもって、混乱します。多くの人は神様のセックスの教えを拒絶して、「どうしていろんな社会的な問題があるでしょうか。性病とか、中 絶とか、愛されてない子供とか、壊れた心とか、なぜそんな問題があるでしょうか」と思って、混乱します。多くの人は喜びを与える神様から逃げて、「どうして 本当の喜びが見つけれないでしょうか」と思って、混乱します。

神様から離れている生活というのは混乱ということです。バベルの人はそう分かるようになりました。今でも、たくさんの人はそう学んでいます。

答えはなんでしょう。命を創った者に戻るべきです。そうすれば、うまくいく生活を見つけるし、本当の命を見つける。なぜならば、神様は命です。

イエス様はこう言われた。

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。私は来たのは、羊が命を得、またそれを豊かに持つためです。

皆がそう信じたらいいのにねえ。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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